日本雑学辞典
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阿波踊り アイスクリーム 相槌(あいづち) あずま屋

相棒(あいぼう)

市松模様 いなせ 許婚(いいなずけ 一蓮托生

いかさま 一目置く いびつ いたちごっこ

板につく


海の日 内弁慶 うんともすんとも


絵馬 江戸っ子 宴会 映画

演歌


奥様 おせち料理 お花見 お茶

思うつぼ お辞儀 お年玉 お馴染み

お札 お袋 おてんば お伽噺(おとぎばなし)

億劫(おっくう) おにぎり 表向き おおわらわ




阿波踊り

「踊る阿呆に見る阿呆  同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」というフレーズで有名な四国の阿波踊り

個人的に「確かに!」と思ってしまう内容であります(笑)

この阿波踊りの由来はというと、阿波藩の祖・蜂須賀家政

新しい城を築いたお祝いに、城下では祝い酒が振舞われました

それを飲んで酔っ払った領民たちが浮かれて踊りまくったのが始まりだそうですよ〜

なんか、楽しそうでいいですねぇ

アイスクリーム

アイスクリーム第一号は明治2年

横浜の氷屋さんが作りました

本格的なアイスクリームは明治19年に銀座の風月堂が売り出しました
1カップ10銭であります
ちなみにアイスクリームと同時に、ラムネも発売しました

相槌(あいづち)

話をしていると「ウン。ウン」と相槌をうちますが、これは鍛冶屋からきてます

昔の鍛冶職人の親方は弟子が槌を入れやすいよう、うまーく呼吸をあわせてあげました

これが「相槌」と言うのであります

あずま屋

公園なんかにあるちょっとキレイな和風の建物のことを「あずま屋」と言いますが、昔はあずま屋といえばすっごい粗末な家のことを指したんです

昔、天皇や公卿などのお偉いさん京都に住んでました

京都の人々は関東武士のことをバカにして「あずまえびす」と言って見下しておりました

ここから、柱が四隅にたってるだけで壁もない屋根だけの粗末な家を「あずま屋」と呼ぶようになったのであります

相棒

もともと相棒というのは、駕籠をかつぐ相手のこと

前後二人で棒を上手に担がないと、駕籠はすぐフラフラしちゃう

二人の気が揃わないとダメなのであります

ということで、深い信頼関係を持った相手のことを「相棒」というようになったのであります

市松模様

市松模様は江戸時代の中村屋という歌舞伎役者「佐野川市松」が着ていた柄であります

市松が「心中万年草」という舞台で、市松模様を袴に用いたことから大ブレイク!

当時歌舞伎役者といえば江戸のアイドルで、この市松はめっちゃカッコよかったらしーので、すぐさま江戸の女性たちにクチコミで広まりました

で、女性たちはこぞって市松が着用していた模様の着物をあしらったのでした

いなせ

いなせの「いな」はボラの幼魚

この魚は出世魚と言われていて、オボコ→イナ→ボラ→トドと名前をかえていきます

イナはその中でも出世の境目と言われていて、イナのような背びれの髻を「いなせ髻」ともいってました

ということで、いなせというのはカッコイイだけじゃなく、将来有望な人のことも含めて言うのであります

許婚(いいなずけ)

むかーし、日本では結婚の決まった男性は、約束として縄を結んだ標縄(しめなわ)を女性に贈りました

この「標縄」で結ばれた婚約者を「結縄付(ゆいなわづけ)」といい、「許婚(いいなずけ)」と呼ぶようになりました

日本では結び目には神が宿るといわれており、結び目には男性の家と女性の家の先祖の魂が宿っているとされ、縄を結いながら誓った男女の結びつきを裏切るということは、神を裏切ると同じくらいのことだったのです

ということで、許婚となった相手を裏切ると、大変なことになってました

現代のように、簡単に別れたりするなんてことはとんでもない話だったのであります


一蓮托生(いちれんたくしょう)

一蓮托生とうのは、死後、極楽浄土で同じ蓮の上に生まれてくるということ

ハンパじゃないくらいの縁なのであります

しかも極楽浄土での話しなんで、いい人しか一蓮托生できない

地獄には蓮はないので、犯罪者は一蓮托生の縁は作ることはできないのであります

いかさま

江戸時代、「なるほど〜」とか「いかにも!」という意味のことを「いかさま」と言ってました

が、「いかにもそうだ」と、相手を信用させ、詐欺を働く人が出てきたのです

そこから「いかさま」というのは、インチキとか偽者のことを表現する言葉になってしまいました

一目置く

自分より優れた人に敬意を抱くことを「一目置く」と言います

これは囲碁からきた言葉

弱い方が最初に一目置かせてもらい、優位に立たせてもらうということ
つまりハンデをつけてもらいました

ここから敬意を表す「一目置く」という意味ができたのでした

いびつ

いびつも元々の言葉は「飯びつ」のこと

昔はお釜で炊いたお米を竹で編んだおひつに移してました

このおひつのことを「飯びつ(いいびつ)」と言い、小判型をしておりました

が、だんだん使っていくうちにゆがんできたりしますよね
そーいった飯びつのことを「いびつ」と言うようになったのであります

いたちごっこ

捕まえても捕まえても次々と新手で色んな悪いことをする。で、またそれを捕まえる・・・みたいな状況を「いたちごっこ」と言います

もともとは江戸時代の子供たちの遊びからきた言葉

現在のようにおもちゃのない時代なので、子供達は体を使って遊んでました

で、いたちごっこというのは、二人が互いに相手の手の上に自分の手をのせ甲をつねる。それを順番に繰り返していくというもの

この遊びは終わりがなく、どちらかが飽きるまでずーーっと続けられたので「いたちごっこ」というように

で、この言葉が今「やってもやっても終わりがない」という意味で使われるようになってきたのでした


板につく

何かをやってる姿がサマになってきたことを「板についていたね」とか言いますよね

この板というのは舞台のことであります

昔、芝居を見る時、幕が開くとすでに舞台に立っている役者がいました
この役者のことを、最初っから舞台(板)にいるということで「板つき役者」と呼びました

主役級の役者はもうちょっと後からゆったりと登場する。かといって新人だと緊張して失敗する恐れがある

ということで、そこそこ舞台にも慣れてきて一人前になってきた役者が使われたのです

ここから、ようやく慣れてきて一人前になることを「板につく」というようになったのでした

海の日

平成6年に新しくできた国民の休日

もともとは昭和16年に制定された「海の記念日」であります

海に囲まれた日本は、海にとっても沢山の恵みを受けているというのが祝日になった理由ですが、7月20日に制定されたのは理由があります

明治9年に、明治天皇が東北・北海道を訪問し、「明治丸」という船に乗って横浜に帰着したのが7月20日なのでした

内弁慶(うちべんけい)

ここでいう弁慶とは、義経に仕えた「武蔵坊弁慶」のこと

弁慶は強者の代表格ですが、その強さが外ではなく内ばっかりに向けられているというのを「内弁慶」といいます

外ではぺこぺこしてるケド、家の中では強気だったりすることを指すんですね〜
同じ意味で「かげ弁慶」「こたつ弁慶」などもあります

うんともすんとも

江戸時代、オランダから「うんすんカルタ」というのが伝わりました
長崎を中心にこのカルタは流行したんですが、すぐ飽きられて遊ぶ人がいなくなっちゃいました

この「うんすんカルタ」がすたれたことを「うんともすんとも」と言うようになったのでした

うんすんカルタのブームはすぐさま消えましたが、言葉だけは残っているので良かったですね(?)

絵馬

絵馬は平安時代からありました

昔は神様に生きた馬を供えるという慣わしがあり、そのうちに生きた馬が木馬に

で、さらに絵に書かれた馬を奉納するようになりました

雨乞いに馬が使われており、雨乞いする時には黒い馬、そして雨が降った後には白い馬を献上して祈願してました

当時、馬はめちゃくちゃ大事なものだったので、皆さん必死の願いだったのであります

現在、神社などにある絵馬は「小絵馬」と言います
それまでの絵馬は一メートル以上あったんですねぇ〜

昔は絵馬に自分の名前を書くという事はしなかったんですが、現在は自分の名前を神様にアピールして、でもってお願いを聞いてもらっちゃおう!という風習になってきております

江戸っ子

江戸っ子というと、
「親子三代続いて下町生まれの下町育ち」
「神田明神の氏子」
「職人」
「宵越しの金を持たない貧乏人」
のことを言ったそうです(江戸時代ね)

が、商人たちは「江戸っ子」と呼ばれるのを嫌がってました

どーも江戸時代の人が語る「江戸っ子」は乱暴で、やたら粋がってるといったイメージだったようです



宴会

日本人は昔っから宴会ダイスキ!
年がら年中、宴会をしておりました

宴会がいっちばん行われていたのは平安時代の貴族たち

特に元旦の宴会が一番すごかったらしく、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎでした

もちろん一次会が終わると、場所を移して二次会・三次会も・・・

今とたいして変わんないですね(^^;)

映画

明治29年の11月25日
日本で初めて映画が一般公開されました〜

神戸の神港倶楽部で、エジソンが発明したキネトスコープで観るというもの
キネストコープってのは、のぞきメガネのようなものであります

とっても観にくそうですねぇ

演歌

もともとは演説の歌だった「演歌」

明治20年、自由民権運動が盛んだったとき、「演説よりも歌の方がみんなわかりやすいんじゃない?」ということで、軍歌などにメロディをつけて批判したような歌詞で歌ってました

大正時代になると政治色の濃い歌より、人情や恋愛の歌が人気になり「艶歌」という漢字があてられるように

が、戦争の時代となり「艶」という字が漢字制限を受けてしまったため、またも「演歌」に
で、現在まで続いております

奥様

奥様ってのは、もともと江戸時代の旗本の妻のことをいいます

家の奥にいたので「奥様」なんですね〜

庶民の妻はほんとなら「おかみさん」なわけですが、今は奥様が一般的になっちゃってますね

ちなみに、将軍の妻は「御台様(みだいさま」
御三家は御三卿は「御廉中(ごれんじゅう)」
10万石以上の大名の妻は「御前様」
10万石以下の大名の妻は「奥方」
御家人は「御新造様(ごしんぞうさま)」

妻にも色々呼び方によってランクがあったんですネ〜

おせち料理

お正月に欠かせないおせち料理
もともとは「御節供(おせちく)」と言います

平安時代の宮中では、1月1日や3月3日 5月5日など節目の日に神様に食べ物を備えるということが行われてました

これが次第に略されて、お正月だけになったのです

宮中だけのしきたりが、時代とともに民間に伝わっていったんですね〜

お花見

お花見といえば桜ですね〜♪
散るのが早く、その散りかたは潔くまさに武士!!ってな感じがしますね

もともと花を楽しむという習慣は平安時代に中国から伝わってきました
でも桜よりも梅の方が「高貴な花」として人気でした

が、だんだんと桜に移り変わっていきます

庶民にとって桜の咲く様子は農作物の育ち方を占うというものでもありました

現在のようなレジャー的なお花見になったのは江戸時代
徳川将軍綱吉の時代で、まさに元禄バブルの頃です

それからずーっと桜は日本人に愛されてきてるんですね

お茶

お茶が日本にやってきたのは奈良時代のこと
遣唐使が中国から持ってきたのであります

当時は乾燥させたお茶の葉っぱを臼で粉にして練り固めたお団子のようなもので、「団茶(だんちゃ)」と呼ばれていました

この頃のお茶は、どっちかとういと清涼剤のような感覚で使われていました
カフェインが脳を刺激して頭をすっきりさせるってことで、修行僧などが使っていたのです

平安時代になるとお薬のような感覚になってきました

で、鎌倉時代になって今の抹茶がやってきました
持ち込んだのは禅の修業に中国へ行っていた栄西

ここから現在のお茶になっていくのでありました

ちなみに、お茶栽培といえば静岡が出てきますが、なんで静岡?というと・・・・

静岡には大井川というでっかーーーい川がありました
川を渡るのに大変で、川越え人足という川を渡らせる人たちがわんさかいました

が、中には悪いヤツもいて、江戸っ子にとって大井川をわたるのはとっても大変なことだったのです
が、明治になると、この「川越え人足」が廃止され、渡し舟が登場!
今まで川越え人足で生活していた人たち800人が失業!!となってしまったのです

ここで考えたのが「お茶の栽培」だったんですね〜
ということで、現在静岡はお茶の産地へと発展したのでした

思うつぼ

「へっへっへ。思うつぼになったぜ〜」の「思うつぼ」

これは江戸時代のギャンブル用語であります

片肌脱いだ兄さん姉さんがツボにサイコロを入れて、回りが「半!」とか「丁!」とかいって賭け事をするアレです

あのサイコロを入れてふる壺が語源

で、ツボの中のサイコロが思った通りに出たことを「思うツボになった」と言ったことから一般的に広まったのでした

お辞儀

お辞儀の歴史は古いです

日本について書かれた一番古い文献の「魏志倭人伝」(中国からみた日本が書いてある本)にも

「日本人は偉い人に会うとひざまずいて頭を下げてお辞儀する」と書かれてます

埴輪にもお辞儀をしているものもあるのです

お辞儀というのはものすごーーーい昔から日本に伝わる風習なのです

ちなみに現在のように相手に敬意を表すためではなくって、昔のお辞儀の意味は「私はあなたに敵意はないですよ〜。無抵抗ですよ〜」というものでした

お年玉

子供がとーっても喜ぶお年玉

もともとは「お年魂」という言葉で、歳神様からいただく新しい魂(生命力の強さ)という意味でした

室町時代には親は女の子には羽子板を、男の子には蹴鞠の道具などをあげていました

今のようにお金をあげるというものではなかったのです

ちなみにお年魂は目上の人が目下の人に贈るもので、その逆はNGでした

お馴染み

「お馴染みさん」という言葉はよく使いますが、この言葉は遊女の言葉であります

馴染みとうのは、3回目に遊びに来て初めて「馴染みの客」となるわけです

ということで、とりあえず「お馴染みさん」は3回以上来てくれたお客さんのことを言うんですね〜


お札

お札に初めて人の肖像画が登場したのは、明治14年に発行された10円札

人物は神功皇后という十四代目天皇の奥さん

この肖像を書いたのはイタリア人で、どうやら好きな人の顔を思い出しながら考えたとのこと
実際、神功皇后のお札の顔は、なんとなく外人っぽい顔してます

ちなみに一万円札の福沢諭吉の顔は、56歳の時のもの

家族は「ちょっと年寄り臭いから50歳くらいの時の写真にしてよ」と言っていたらしいです


お袋

おかーさんのことを「お袋」と言いますよね〜

これは、子供がおかーさんのおなかにいる時、袋に入った状態でいることから生まれました

母は子供を懐(おなかね)にいっつも抱いていたので、「お袋」となったのであります


おてんば

昔、「伝馬」という馬がおりました

情報を伝達するための馬で、若くて丈夫で、多少気の荒い馬を使っておりました

この「伝馬」に「転婆」という字が当てられ、若くてはねっかえりの娘のことを「おてんば」と呼ぶように

個人的に疑問は、なぜ「婆」という字が当てられたのか???とゆーこと

知ってる人がいたら教えて欲しいもんです(^^;)

お伽噺(おとぎばなし)

小さい頃、お母さんが夜寝る時に話してくれた・・・という感のある「お伽噺」

が、もともと「伽」というのは、添い寝し、夜の相手をするというものでした

話相手をして色々語りつつ、夜の相手も勤めるのであります

現在のように、おかーさんが子供にする・・・といったような可愛らしいものではなかったのでした

億劫(おっくう)

めんどくさいな〜っ感じで使われる「億劫」という言葉

仏教では時間の長さを現した言葉です

そもそもですね〜、一劫ってのは四十三億二千万年にあたるんですが、その一億倍が「億劫」

ってことは、すっごい時間なんですヨ!

で、凡人が悟りを得るのに必要な修行時間のことを「億劫」というんです

どんだけ時間がかかるんだよ!ってな感じですが、この億劫というのが、めんどくさかったり気後れしてなかなか実行に移さない気持ちのことを言うようになってきたんですね〜

おにぎり

おにぎりは「にぎりめし」を丁寧にいった言葉であります

昔は屯食(とんじき)とも呼ばれてました
ちなみに当時のおにぎりは糯米を蒸して握ったもの

今のようなおにぎりになったのは鎌倉時代末期のころからであります

補足すると、「おむすび」という言い方は江戸時代の武家女性が「おにぎり」を言い換えた言葉

「結び固める」からきたといわれてます

表向き

表向きというのは、江戸時代の将軍が政治を行うとこです
他の大名と謁見したりするとこ

ということで、本来「表向き」というのは、公然と・・・・という意味なんだけど、公然としたトコには形式的なことが多いため、いつのまにか「うわべだけの」という意味に発展していきました

おおわらわ

わらわというのは「童」と書き、子供のことを指します

元服して大人になると髪の毛を結って冠をかぶりますが、それまで子供はおかっぱ頭で髪の毛が乱れるほど遊んでました

ここから、大人が整えてある髪の毛を乱すほど慌てる様子を「おおわらわ」と言うようになったそうですよ